ドラムとの出会い

1980年、Shinは山梨県の片田舎の中学校に入学した。

生徒数は全校あわせても140名に満たなかったため、部活動の選択肢は野球部(女子はソフトボール部)、バレー部、文化部はブラスバンド部のみ。
この時点でわずか三つしか選択肢がなかった。

背が高かったので見た目だけでは運動部に入るのが妥当なところである。
しかし、痩せていて体力に自身がなくおまけに扁平足で運動音痴のShinには、無論、運動部という選択はなく詰まるところブラスバンド部一択であった。

ブラスバンド部は女子が殆どで、男子はというと同級生はShin以外に2人、先輩は1人だけ。

そんな1つしか無い文化部で穏やかに部活動を行うつもりであったが、実はブラスバンド部というのは運動部とかなり密接な関係にあった。
勘の良いあなたならすぐお判りだろう。そう、運動部の応援にはブラバンは必須である。そして応援団ともSETだ。

つまり、活動内容は体育会系の要素が強いわけだ。
そうなら全部体育部でもいいじゃないか!と思ったかまでは不明だが、結局Shinの苦手な体育会系といつもいっしょに活動する事となった。

最初Shinはトランペットをやってみたかった(意外にベタで古風だ)。
だが、他の男子にトランペット志望者がいたので、やり手の少ないパーカッションが回ってきて何となく打楽器のパートを選んだ。

ところがだ、応援となるとタイコはちょっとした花形だという事を知る。このことからShinのDrummerへのスイッチが入ることとなる。

ドラム基礎の熟成

山梨の片田舎には近隣の高校は皆無なのに加え、公立高校以外は経済的に厳しかったため、進学する高校の選択肢が非常に少なかった。
山梨県と言っても南西部だったので、甲府市より隣県の富士宮市に近かったため、静岡県富士宮市に創立したばかりの県立富士宮西高校に進学した。

前年までは富士宮より少し遠い富士市の県立の進学高校というのが担任の勧めであったが、たまたまより近い県立高校が開校するタイミングであったため、先輩がいないというデメリットはあるものの、反面それはちょっと魅力的でその選択となった。

といわけで、当時できたてホヤホヤの県立富士宮西高校に進学する。
いくら近いというものの、毎日の通学時間は

自転車オンリーならば山超え谷超えで往復5時間

電車を使うと自転車30分またはバス+身延線+徒歩

いずれにしても過酷だった。体力も時間も財布にもだ。

田舎では大したレベルではなかったShinの体と精神も、このおかげで磨きがかかり痩せてはいたがハガネの体力を少しは手に入れられた。

時間の制約はあるものの、Shinの高校3年間はブラスバンドに明け暮れた。

家に帰れば近所には猿やイノシシくらいしかいないので、ドラムの練習し放題である。

Shinのカモシカのような足は次第に「ドラム筋」という特殊な筋肉構造が形成されていった。

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